北の達人コーポがギネスブックの仲間入り

2020年9月19日 08:50

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ギネス世界記録認定式の様子。(写真: 北の達人コーポレーションの発表資料より)

ギネス世界記録認定式の様子。(写真: 北の達人コーポレーションの発表資料より)[写真拡大]

 「当社の●●がギネス世界記録に認定されました」、といったニュースレターを企業から受け取った記憶はない。初めてである。北の達人コーポレーション(以下、北の達人)から9月2日、『「ギネス世界記録○R」認定証授賞式のご案内』とするレターが届いた。

【こちらも】北の達人コーポの「事実は小説よりも奇」

 私は7月29日の企業・産業欄に『北の達人コーポの「事実は小説よりも奇」』を投稿した。幾多の紆余曲折を経た創業者社長の木下勝寿氏が「すぐ真似されるような商品・サービスでなく、誰にも真似できないようなものを提供し顧客がうちから離れたくなくなるようにしよう」という決心に行き着いたことが、今日の北の達人を創り上げたと記した。その思いが自社ブランド「北の快適工房」を生み、幾多のヒット商品を生み出してきた。

 今回、ギネスに認定された「ディープパッチシリーズ」もその1つ。マイクロニードル化粧品(美容成分をニードル:針状に形成し、気になる部分に貼り付けるだけで浸透しにくい美容成分を肌に与える新しい形状のスキンケア)の逸品。送付されてきたニュースレターには「累計予約待ち人数10万人超え」「リピート率96.8%」記されるのと同時に、客観的な評価とも言える「モンドセレクション(世界的品質基準とされる国際評価機関)で金賞を4年連続受賞」とも追記され、「ギネスにマイクロニード化粧品市場世界シェア世界一の認定を受けた」とされている。

 札幌市長からの祝辞をいただくという授賞式には参加こそ見送ったが、目出度いことである。木下氏の今まで腹の底に抱え込んでいた鬱憤も、雲散霧消したであろう。

 これを機会にと思い、そもそも「ギネス」なるものはどんな経緯で生まれてきたのかを調べてみた。話は1950年代初めにまで遡る。

 アイルランド(ウェックスフォード州)のヒュー・ビーバー卿なる人物が狩猟の最中に、「ヨーロッパで最も速く飛ぶ狩猟鳥はなんだろう」とフッと思いついた。これがきっかけとなりビーバー卿は「1番だけを集めた書籍を作ろう」と考え、ノリス・マクワーター/ロス・マクワーターという双子の兄弟に制作を依頼した。そして、毎年度「改訂版」を作ったというのが旅立ち。ギネスワールドレコードという組織を立ち上げ、2010年には日本オフィスとして「ギネスレコーズジャパン」が設営されている。

 日本オフィス設立の翌11年に「よし、ギネスに登録されるように・・・」と思い立った御仁が、目下の我が住処:埼玉県の行田市にいた。「田んぼアートづくり体験事業推進協議会」の小林乙三氏。行田市の今流に言えば「地域活性化」の一環として、自然に生えた稲だけの田んぼアートと取り組んでいた。11年に2万7195平方メートルという最大の田んぼアートを完成した。面積だけでは・・・と、その後「改良」がなされ15年9月にギネスに認定されている。

 ギネスへの挑戦も1つに生き方だろう。企業の商品がギネスに認定されるというのは何よりの「名誉ある通信簿」と言えるのではないか。(記事:千葉明・記事一覧を見る

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